転職時の「営業秘密」侵害トラブルを防ぐために。知っておくべき法律と対策
キャリアアップや新しい挑戦のための転職が一般的になる一方で、転職した元従業員による「営業秘密」の持ち出しや不正利用に関するトラブルが後を絶ちません。
「長年使ってきた顧客リスト、転職先でも参考にしたい」
「この販売マニュアルは、自分が作ったようなものだから大丈夫だろう」
こうした「うっかり」や「これくらいなら」という安易な考えが、思わぬ法的トラブルに発展し、あなたのキャリアや企業の存続に深刻なダメージを与える可能性があります。
この問題は、決して他人事ではありません。この記事では、転職を考える個人と、従業員を送り出す企業、双方の視点から、営業秘密とは何か、どのような行為が侵害にあたるのか、そしてトラブルを未然に防ぐための具体的な対策を分かりやすく解説します。
そもそも「営業秘密」とは?3つの重要な条件
まず、どのような情報が法的に「営業秘密」として保護されるのかを正しく理解することが重要です。不正競争防止法では、以下の3つの条件をすべて満たす情報が「営業秘密」と定義されています。
1. 秘密として管理されていること(秘密管理性)
会社が、その情報を「秘密である」と客観的に示している状態を指します。
- 具体例:
- データファイルや紙の書類に「マル秘」「Confidential」といったスタンプや表示がある。
- 情報が保管されているサーバーやキャビネットにアクセス制限(パスワード設定や施錠管理)がかけられている。
- 入社時や退職時に、秘密保持に関する誓約書を取り交わしている。
逆に、誰でも自由にアクセスできる状態の情報は、秘密管理性が認められにくくなります。
2. 事業活動に有用な情報であること(有用性)
その情報が、企業の事業活動にとって客観的に役立つものであることを指します。技術的な情報だけでなく、営業上の情報も広く含まれます。
- 技術上の情報例: 製造ノウハウ、設計図、実験データ、プログラムのソースコードなど。
- 営業上の情報例: 顧客リスト、販売マニュアル、価格情報、新規事業計画、仕入先リストなど。
3. 公然と知られていないこと(非公知性)
その情報が、企業の外部では一般的に知られておらず、簡単には入手できない状態を指します。
- 具体例:
- インターネットで検索しても出てこない。
- 業界紙や専門書にも掲載されていない。
会社のホームページで公開されている情報や、市販の刊行物に記載されている情報は、非公知性の要件を満たしません。これら3つの条件が揃って初めて、その情報は法律で守られるべき「営業秘密」となるのです。
こんな行為はアウト!転職者が問われる「営業秘密侵害」の具体例
では、具体的にどのような行為が営業秘密の侵害にあたるのでしょうか。典型的な例を見ていきましょう。
- データの不正な持ち出し退職にあたり、会社の許可なく、顧客リストや技術データ、販売マニュアルなどをUSBメモリや個人のクラウドストレージにコピーして持ち出す行為。
- 私物端末での情報保持在職中に業務で利用していた私物のPCやスマートフォンに会社のデータを保存したまま、退職後も消去せずに保持し続ける行為。
- 転職先での不正な利用前職から持ち出した顧客リストを使って、転職先で営業活動を行う。また、前職の企画書や提案書を流用して、転職先の業務に利用する行為。
- 第三者への不正な開示前職で知り得た秘密の情報を、転職先の同僚や、同業他社の友人に話したり、SNSなどで漏洩させたりする行為。
これらの行為は、民事上の損害賠償請求だけでなく、悪質な場合には刑事罰の対象となる可能性もあります。
【転職者向け】トラブルに巻き込まれないための退職時の注意点
輝かしい未来のための転職が、思わぬトラブルに繋がらないよう、退職時には以下の点に細心の注意を払いましょう。
- 退職時の誓約書をよく確認する退職時に、会社から秘密保持や競業避止義務に関する誓約書への署名を求められることが多くあります。安易にサインせず、内容(特に秘密情報の範囲や、退職後の競業が制限される期間・地域など)を十分に確認しましょう。もし内容に納得できない点や不明な点があれば、署名する前に会社に説明を求めたり、必要に応じて弁護士などの専門家に相談したりすることも重要です。
- 会社の情報は全て返却・消去する会社から貸与されたPC、スマートフォン、USBメモリなどはもちろん、業務上作成・取得したデータや書類は、物理的な媒体・電子データを問わず、すべて会社に返却または指示に従って確実に消去しましょう。「自分が作成した資料だから」という考えは通用しません。
- 「記憶」に頼るのも危険物理的なデータを持ち出さなくても、頭の中にある顧客情報や価格情報、ノウハウなどを転職先で利用した場合も、営業秘密の不正利用と見なされる可能性があります。特に、前職と全く同じ顧客に、同じようなアプローチで営業をかけることは、トラブルの元になりやすいので注意が必要です。
【企業向け】大切な情報を守るための予防策と発生時の対応
企業側も、従業員の退職に伴う情報漏洩リスクに備え、日頃から対策を講じておくことが不可欠です。
- 予防策(守りの対策)
- 秘密情報の明確化: 何が自社の営業秘密なのかを特定し、アクセス制限やマル秘表示などで「秘密管理性」の要件を満たす。
- 契約・規程の整備: 入社時に、従業員と秘密保持契約(NDA)を締結し、就業規則にも秘密保持義務に関する条項を明記する。
- 教育・研修の実施: 従業員に対して、定期的に営業秘密に関する研修を行い、情報管理への意識を高める。
- 退職時手続きの徹底: 退職者から秘密保持に関する誓約書を取得し、貸与品の返却とデータ消去を確実に行う。
- 発生時の対応(攻めの対策)万が一、営業秘密の侵害が疑われる事態が発生した場合は、迅速な対応が求められます。
- 証拠の保全: 侵害の事実を証明するための証拠(PCのログ、メールなど)を保全する。
- 専門家への相談: 速やかに弁護士に相談し、今後の対応方針を決める。
- 法的措置の検討: 侵害行為を止めさせるための「差止請求」や、被った損害の回復を求める「損害賠償請求」、悪質な場合には「刑事告訴」といった法的措置を検討する。
誠実なキャリアのために。「知らなかった」では済まされない営業秘密のルール
営業秘密の侵害は、転職者にとっては築き上げてきたキャリアと信頼を、企業にとっては競争力の源泉を、一瞬で失いかねない重大な問題です。
「これくらいなら大丈夫だろう」「お世話になった顧客だから」といった安易な考えや個人的な感情が、深刻な法的トラブルを招くことを、私たちは肝に銘じなければなりません。転職は、本来、これまでの経験を活かし、新たなステージへ進むためのポジティブな行為です。その輝かしい一歩が、不誠実な行為によって曇らされることのないよう、法律とルールを正しく理解し、最後まで誠実な行動を心がけることが何よりも大切です。